11-80_2Z:新渡戸5000円札 2桁 [DN819832Z] Z:財務省印刷局 彦根工場 希少品 TEL:81-9832の方へのプレゼントにどうぞ![西尾市~古いお札]
今日の一品
11-80_2Z:新渡戸5000円札 2桁 [DN819832Z] Z:財務省印刷局 彦根工場 希少品 TEL:81-9832の方へのプレゼントにどうぞ!
商品説明
日本銀行券D号5000円 新渡戸5000円
図案:新渡戸稲造と富士山
発行:昭和59年11月1日(1984年)
支払い停止:平成16年10月(2004年)
廃止:廃止されていませんので、現在も5000円として使用できるそうです。
大きさ:76ミリ×155ミリ
紙幣番号:DN819832Z
****銘版名称の推移****
[1]大蔵省銘版(黒):昭和59年11月1日~平成5年11月
[2]大蔵省銘版(褐色・茶色):平成5年12月1日~平成13年5月
[3]財務省銘版(褐色・茶色):平成13年5月14日~平成15年6月
[4]国立印刷局銘版(褐色・茶色):平成15年7月1日~平成16年10月
****頭2桁版:末尾番号情報****
A~G:滝野川工場
H~N:小田原工場
P~S:静岡工場 ※製造されてません。
T~Z:彦根工場【Z】
****頭2桁版:彦根Z版の詳細情報[記番号頭1桁目と記番号頭2桁目]****
※大蔵省銘版(黒)は除きます。
[AA…Z]~[CR…Z]:大蔵省銘版
[CS…Z]~[DR…Z]:財務省銘版
[DS…Z]~[DZ…Z]:国立印刷局銘版
電話番号が81-9832の方にプレゼントしても面白いかもしれません。
因みに…
奈良県の「ナラヤマ サヤ」様というハンバーグ店が検索できました。
今回、こちらの紙幣をご紹介した理由は、2020年1月18日未明に当店に泥棒が入りまして、こちらの商品を持ち去られたからです。
当然、警察にも届けてあります。
この紙幣を含め 持ち去ったものを全て返却してもらいたいです。
ここまで識別できる情報を持っていますので、流出・換金すればすぐに身元がばれますよ。
他の商品も同様ですから・・・
西尾市の方で古銭・古札でお困りの方は、西尾市今川町の「開運 令和堂」がお力になれると思います。
タグ: 81-9832, ナラヤマ サヤ, 新渡戸稲造, 財務省印刷局, 彦根工場, 5000円, 古札, 古銭, 未明, 泥棒, 西尾市, 買取
11-74_2F:板垣退助100円札 2桁後期[VX611622F] F:大蔵省印刷局 滝野川工場 TEL:61-1622の方へのプレゼントにどうぞ![西尾市~古銭]
「今日の一品!」
商品説明
日本銀行券B号100円 板垣退助100円
図案:板垣退助と国会議事堂
発行:昭和28年12月1日(1953年)
廃止:廃止されていませんので、現在も100円として使用できるそうです。
大きさ:76ミリ×148ミリ
紙幣番号:VX611622F
****末尾番号情報****
A~H:滝野川工場【F】
J~R:小田原工場
S~V:静岡工場
W~Z:彦根工場
****滝野川F版情報[記番号頭2桁目]****
[〇A…F]~[〇F…F]:前期
[〇G…F]:前期と後期が混在
[〇H…F]~[〇Z…F]:後期【X】
電話番号が61-1622の方にプレゼントしても面白いかもしれませんね。
因みに…
埼玉県比企郡の「ドラッグセイムス 嵐山平沢店」,三重県名張市の「訪問看護ステーション そらまめ」,熊本県水俣市の「水俣市役所市民課」,長野県北安曇郡の「株式会社 G・フレンドリー リサイクルセンター」,新潟県佐渡市の「ツクイ佐渡かない」 様のお店が検索できました。
今回も、図案にあります「板垣退助(いたがきたいすけ)」についてサラッとお話しします。
私自身 教育機関で普通に日本史を習ったのは小学校と中学校の時くらいだったと思います。
高校では「世界史」を選びましたので、本来 日本人が知っておかなければならない、日本の近代史の知識がかなり欠落しております。
そんな私でもこの「板垣退助」くらいはすこし知っておりまして、明治15年に岐阜県での遊説(ゆうぜい)中に暴漢に襲われ出血しながら「板垣死すとも自由は死せず」と言ったということは有名ですよね。
私の「しょぼい知識」はここまでだったんですが、今回 自分としてはかなりショッキングな事実にたどり着きました。
なんと、この時に死んでなかったんですね・・・
当然、死に際(ぎわ)の言葉と勝手に自分が思っていただけなので、誰も責められません。
確かに教科書には、その時「死んだ」とははっきり書いてありませんでしたけどね。
以前、「板垣退助」が「髭のおじいさん」のイメージだと書きました。
なので、こんな髭のおじいさんだったら、刺されたらその場で死ぬでしょ!と自分の中で場面を勝手に想像していました。
襲われたのは大体45歳くらいだそうです。
また、この「板垣死すとも自由は死せず」ということばも実際にはこんなことを言っていなかったという話もあります。
実際にどんな状況だったのかは、また後日 お話ししますね。
西尾市の方で古銭・古札でお困りの方は、西尾市今川町の「開運 令和堂」がお力になれると思います。
タグ: 61-1622, G・フレンドリー, そらまめ, ツクイ佐渡かない, ドラッグセイムス, 古札, 古銭, 日本銀行券B号, 板垣死すとも自由は死せず, 板垣退助, 板垣退助100円札, 水俣市役所市民課, 滝野川工場, 西尾市, 買い取り
04-168:平成15年(2003年) 通常 貨幣セット Mint Set ミントセット JAPAN MINT[西尾市~古銭]
今日の一品!
商品情報
04-168:平成15年(2003年) 通常 貨幣セット Mint Set ミントセット JAPAN MINT
商品名:貨幣セット(ミントセット:Mint Set)通常
発行年:平成15年(2003年)
セット内容:年銘板+1円アルミ貨+5円黄銅貨+10円青銅貨+50円白銅貨+桜100円白銅貨+500円白銅貨
発行数:205,000セット
当時造幣局販売価格:\1800
今日は平成15年(2003年)の「ミントセット」をご紹介します。
と言っても、ミントセットそのものについては特筆することはあまりないです。
2003年はあの『鉄腕アトム』が誕生した年なんですよ!
原作の公式設定では、2003年4月7日です。
私の中ではこれが「2003年といえば!」の項目です。
書いていて気が付いたのですが、同じ年にこの「鉄腕アトム」誕生を記念したミントセットが発売されていたことに気が付きました。
もし、手に入りましたら、「今日の一品!」で詳しくご紹介しますね。
後、何があったかを振り返ると…
郵便局が民営化されたのもこの年だったようです。
郵便局といえば・・・
相変わらず、公務員だったころのことが忘れられない人たちが多いですね。
郵便局というのは、役職に就くと2年~3年で転勤しますので、その間うまくやれればいいだけなんですよ。
窓口営業で対応しているのは地元で雇用されている人たちなので、ほとんどの人が頑張っていると思いますが、課長以上が基本的にはすべて腐っているらしいですよ。
圧力だけかけて実行犯は地元民にやらせているんですよ。
簡保の問題だって「悪いのはトップだ!」とか「ひどいノルマの為に・・・」と言っていますが、一般人の見えないところにいる奴らが一番腐っていると聞きます。
郵便局の話になると長くなりますので、今日はここまでにします。
全然違う話になってしまいましたね・・・
西尾市の方で古銭や古札でお困りの方は、西尾市今川町の「開運 令和堂」がお力になれると思います。
11-74_2V:板垣退助100円札 2桁後期[PS630245V] V:大蔵省印刷局 静岡工場 TEL:63-0245の方へのプレゼントにどうぞ![碧南市~古札]
「今日の一品!」
商品説明
日本銀行券B号100円 板垣退助100円
図案:板垣退助と国会議事堂
発行:昭和28年12月1日(1953年)
廃止:廃止されていませんので、現在も100円として使用できるそうです。
大きさ:76ミリ×148ミリ
紙幣番号:PS630245V
****末尾番号情報****
A~H:滝野川工場
J~R:小田原工場
S~V:静岡工場【V】
W~Z:彦根工場
****静岡V版情報[記番号頭2桁目]****
[〇A…V]~[〇P…V]:前期
[〇Q…V]~[〇R…V]:前期と後期が混在
[〇S…V]~[〇Z…V]:後期【S】
電話番号が63-0245の方にプレゼントしても面白いかもしれませんね。
因みに・・・
栃木県鹿沼市の栄自動車工業,群馬県伊勢崎市の有限会社丸正運輸,岐阜県可児市のマサキパック,愛知県犬山市の京都大学霊長類研究所,京都市南丹市の河谷気功整体院 様のお店が検索できました。
図案にあります「板垣退助(いたがきたいすけ)」についてサラッとお話しします。
印象的な髭のおじいさんというイメージですよね。
100円札の肖像画は恐らく70歳頃のものではないかと思われます。
当時の日本人としてはかなり高齢ですね。
生まれたのは 1837年5月21日(天保8年4月17日)で、亡くなったのは 1919年7月16日(大正8年)享年83歳だそうです。
結構 当時としては長生きですよね。
まさに、江戸時代から明治時代・大正時代を生きた 近代日本を作り上げた人と言っても過言ではないでしょう。
民主政治の草分けとして人気があり、今回紹介した100円札の前にも戦後の政府紙幣B号50銭札(板垣50銭札)の肖像にもなりました。
板垣50銭札の肖像画は恐らく60歳頃のものだと思われます。
見た感じ気持ち若い感じがしますので…
板垣退助については書きたいことがたくさんありますので、少しづつ出していきたいと思います。
碧南市の方で古銭・古札でお困りの方は、西尾市の「開運 令和堂」がお力になれると思います。
タグ: 63-0245, マサキパック, 丸正運輸, 京都大学霊長類研究所, 古札, 古銭, 日本銀行券B号, 板垣退助, 板垣退助100円札, 栄自動車工業, 河谷気功整体院, 碧南, 買取, 静岡工場
11-70_11:梅5銭 組番号【11113】 1:日銀紙幣、11組、13:凸版印刷 板橋工場[安城~古銭]
「今日の一品!」
商品説明
11-70_11:梅5銭 組番号【11113】 1:日銀紙幣、11組、13:凸版印刷 板橋工場
日本銀行券A号5銭 梅5銭
図案:梅花
発行:昭和23年5月25日(1948年)
製造期間:昭和23年5月~昭和23年6月(1948年)
廃止:昭和28年12月31日(1953年)
大きさ:48ミリ×94ミリ
発行枚数:6000万枚
****紙幣番号情報****
紙幣番号:11113
1:日銀紙幣
.梅5銭紙幣においては「1」しかありません。
11:1~12までしかありません。
.各番号ごとに500万枚製造されたそうなので、合計製造枚数は500万枚×12番=6000万枚ということになります。
13:凸版(とっぱん)印刷 板橋工場
.民間の印刷会社で印刷されました。
終戦後の物資も設備も不足する中で大量の紙幣の切り替えが必要になりました。
少額の紙幣に限って民間の印刷会社に製造を委託しました。
その中の一つに「凸版(とっぱん)印刷合資会社」がありました。
梅5銭の発行枚数は、わずか6000万枚とすくないです。
理由は当時インフレが進み物価の最低金額が上昇したので、使用する機会が少なかった為ではないかと思われます。
小額紙幣で発行枚数が少ないからか、私はあまり接することは少ないです。
小額紙幣は雑に扱われることが多いのでまともな状態で残っていないことが多いのです。
個人的にはその当時の歴史を勉強するアイテムとしてはこのような古紙幣は面白いと感じます。
いろいろな話がありますので、少しづつお話していけたらと思います。
安城市の方で古銭の処分でお困りなら、西尾市の「開運 令和堂」がお力になれると思います。
日本の貨幣(コイン) どっちが表で、どっちが裏?[西尾市~コイン]
「今日のなるほど!」
先日、「04-022:昭和63年(1988年) 貨幣セット Mint Set ミントセット」をご紹介しました。
その時には触れませんでしたが、上記の写真を見ても「表」とか「裏」とかの表記はないんですね…
上段の写真を見ると、
「5円黄銅貨」以外は「アラビア数字(算用数字)」で「額面」が表記されています。
中央下の「年銘板」も「アラビア数字(算用数字)」ですね。
他には「アラビア数字(算用数字)」と「漢数字」のごちゃ混ぜですが、「年銘(製造年)」が「和暦」で表記されています。
下段の写真を見ると、
すべての貨幣に「漢数字」で「額面」が表記されています。
それと、日本らしい? 落ち着いた柄が表現されています。
関係ないですが、「年銘板」もその年の「龍」になってますね。
少なくとも、欧米人が見ても、こちら側だけでは使いづらいですよね。
結論から言いますと、「現在は法律上どちらが表とかは決まっていない」そうです。
わかりにくい表現ですが、正しく言うとそうなるのです。
もう少し詳しく、お話ししますと…
「現在は…」というなら、「昔は?」ということになりますよね。
そうなんですよ。
「昔」は決まっていました。
明治になって、日本も近代貨幣が登場します。
外国の貨幣は基本的に国王や領主の肖像が片面にあり、そちらを「表」としていることが多いです。
従って、外国に認めてもらうような貨幣が必要でした。
「天保通宝」や「寛永通宝」では諸外国からバカにされてしまいますからね…
しかし、日本は当時「天皇は神」であった為、人民の手に触れ 汚れることはよろしくないということで、天皇の肖像に代わる「龍紋」を図柄にしました。
そして、そちらを「表」と公表していました。
私的にもその意見には賛成です。
明治27年(1894年)の日清戦争の時に『「龍紋」は中国の象徴ではないのか!』という意見がでた為、「龍紋」から「菊の紋章」側を法律上「表」と決めました。
戦後、「GHQ(アメリカ兄さん)」が「菊の紋章」の使用を禁止した為、「表」が無くなってしまったのです。
当然、法律からも「表」を決める部分が無くなりました。
そこからは、日本人らしい?柔軟な対応で『どちらが「表」とか「裏」とか決めません』ということを決めたわけです。
ただ、実際に貨幣を作っている造幣局の現場では『今まで「菊の紋章」の裏側に「年銘」があったので、こちらを「裏」と呼びましょう』ということになり、それが一般に浸透したらしいです。
つまり、日本の貨幣は「裏」の反対が「表」になったわけです。
戦争で負けるということは「表」も「裏」も決められないということなのでしょうか?
「白黒」付けないモヤモヤ感が日本人らしくて、個人的にはすんなりと自分の中に入ってきました。
ということで、上段が「裏」で下段が「表」ということになります。
まだまだ、面白い話がありますが、今日はここまでです。
西尾市の方で各種コインでお困りの方は、西尾市の開運 令和堂が解決できると思います。
04-022:昭和63年(1988年) 貨幣セット Mint Set ミントセット[碧南市~古銭]
「今日の一品!」
商品情報
04-022:昭和63年(1988年) 貨幣セット Mint Set ミントセット
商品名:貨幣セット(ミントセット:Mint Set)通常
発行年:昭和63年(1988年)
セット内容:年銘板+1円アルミ貨+5円黄銅貨+10円青銅貨+50円白銅貨+桜100円白銅貨+500円白銅貨
販売数:605,021セット
当時販売価格:1600円
今日は「ミントセット」をご紹介します。
一般に発売されたのは昭和50年(1975年)版からだそうです。
造幣局が日本の造幣技術の紹介と宣伝のため、その年の通常硬貨をケースに入れて販売しました。
宣伝ってどういうこと?と思われた方、鋭いです!
実を言いますと…
日本の造幣局では外国のコインも造幣しているんですよ。
例えば、アラブ首長国連邦やバングラデシュといった国の貨幣を過去に作りました。
平成19年以降では10カ国14種類の貨幣を作ったそうです。
だから、「日本の造幣技術はすごいですよ!」とアピールする狙いもあるんですね。
大正5年(1916年)にはロシア帝国時代の10コペイカ銀貨と15コペイカ銀貨を日本の造幣局が作っています。
銀の含有量は50%(Ag500)だったらしいです。
その当時は日本とは仲が良かったんですかね???
バングラデシュは世界有数の親日国です。
いやな事をしてくる近隣の国々とは程々にお付き合いをして、バングラデシュのような国とドンドン仲良くしていきたいですね。
ミントセットの話はまた後日お話しします。
碧南市の方で古銭や古札でお困りの方は、西尾市の開運 令和堂までお願いします。
02-05_33:菊穴ナシ50円ニッケル貨 1958年[昭和33年] 特年[安城市~古銭]
「今日の一品!」
商品説明
02-05_33:菊穴ナシ50円ニッケル貨 1958年[昭和33年] 特年
表図案:菊花
裏図案:分銅
発行:昭和33年(1958年)
廃止:廃止されていませんので、現在も50円として使用できるそうです。
寸法:直径25ミリ
品位:ニッケル1000
量目:5.50グラム
発行枚数:1800万枚
こちらの「菊穴ナシ50円」はニッケル100%なので、磁石に反応します。
次の年から発行された「菊穴アリ50円」も同様にニッケル100%です。
日本の現行貨幣で磁石に反応するのはこの2種類だけだと思います。
磁石に反応するということはお賽銭箱(さいせんばこ)に紐をつけた磁石を入れて抜き取れたということですね。
また、ニッケル100%ですから、保存状態が悪いと緑錆(りょくしょう)がついているものがあります。
その部分を磨いても錆が付いていた部分は腐食跡が残ります。
実際に見てみると、これだけのニッケルが化学反応によって錆になったんだな…というのがよくわかります。
現行の硬貨で白っぽいものは大体「白銅貨」であり、「銅」と「ニッケル」の合金です。
合金にすることで「特殊鋼」や「薬莢(やっきょう)」などの戦略物資に該当する金属ですので、平事(平和な時)の際には硬貨として流通させ 有事(戦争などの特別な時)の際には、回収して別素材の硬貨や紙幣に代替え出来るようにしていたという話もあります。
まだまだ、話は尽きませんが 今日はここまでにします。
安城市の方で古銭や古札でお困りの方は、西尾市の開運 令和堂までお願いします。
03-05:沖縄海洋博覧会記念100円白銅貨[西尾市~記念コイン]
「今日の一品!」
商品説明
沖縄海洋博覧会記念100円白銅貨
図案:守礼門とシンボルマーク
発行:1975年7月3日(昭和50年)
追加発行日:1975年10月22日(昭和50年)
寸法:直径22.6ミリ
品位:銅750/ニッケル250
量目:4.8g
発行枚数:1億2000万枚
こちらの記念コインは大量に出回っていますので、身内の方や親戚(しんせき)の方に聞けば数枚持っていると思います。
これからコレクションをされる方は初めの一枚にいかがでしょうか?
「沖縄国際海洋博覧会」とは…
略して「沖縄海洋博」と言われる。
1972年5月15日アメリカより返還された沖縄の日本本土復帰事業として、本部町(国頭郡)の南部で1975年7月20日から183日間開催された。
あの当時だから自然を破壊してでも博覧会をやったんでしょうね!
しかも国家の威信をかけて!
今なら反対派につぶされるでしょうね!
開催準備の開発時に赤土によってかなり自然が破壊されたそうです。
ただ、個人的にはやれる機運が高まっている時には、何でもやった方がいいと思います。
ところで、東京オリンピック開催反対派の人たちは今はいったいどこに行ってしまったんでしょうね?(2019年9月現在)
現在、跡地の一部は あの有名な「美ら海(ちゅらうみ)水族館」になっているそうです。
昔、家族で「美ら海水族館」言ってきました!
那覇市内からレンタカーを使って行きましたが、個人的には結構距離があったような気がします。
館内の展示物は本当に素晴らしいの一言に尽きます。
一番の思い出は「チンアナゴ」に出会えたことです。
ショボい経験しかありませんが、一押しのオススメの水族館です。
一週間くらい朝から晩まで同じところでのんびりしたいです。
DNAレベルで思考が貧乏性なので、旅行してもなんでもかんでも詰め込んでしまいます。
また、いつか沖縄海洋博についてもブログに書けたらと思います。
西尾市で古銭・記念コインを売るなら開運 令和堂までお願いします。
11-37_420:アラビア数字1円 組番号[420-559014] 大正兌換銀行券1円 武内宿禰 記番号が算用数字 TEL:55-9014の方への贈り物にどうぞ![碧南市~古札]
「今日の一品!」
商品説明
大正兌換(だかん)銀行券1円【アラビア数字1円】
図案:武内宿禰(たけのうちのすくね)
発行:大正5年8月15日(1916年)
廃止:廃止されていませんので、現在も1円として使用できるそうです。
大きさ:85ミリ×145ミリ
組番号:1~446【446は未確認らしいです。】
紙幣番号:559014
※日本では、この貨幣を廃止するという法律が施行されない限り使用できるそうです。
同じ1円でも戦後に発行された「1円黄銅貨」は法律により使用できません。
電話番号が55-9014の方にプレゼントしても面白いかもしれませんね。
因みに・・・
ぶうぶう屋,クレイジースパイス,Pet Shop MARUKO 様のお店が検索できました。
兌換(だかん),アラビア数字,武内宿禰(たけのうちのすくね),1円黄銅貨 については近日中にさらに掘り下げていきますので、お楽しみに!
碧南市の方で古札を売りたい方は、西尾市の「開運 令和堂」までお願いします。
タグ: 55-9014, Pet Shop MARUKO, クレイジースパイス, ぶうぶう屋, 古札, 古銭, 武内宿禰, 碧南, 西尾, 買取